『人は、歌う。

≪あの塔のてっぺんには、何がある?≫

王の絶望 后の哀れみ

民の嘆き届かぬ 遺戒(いかい)の砦』





『小鳥は、謳う。

≪あの塔のてっぺんには、何がある?

刻(とき)を渡ることの出来るもの

永久を知るもの 

王の怒り 后の祝福を受けしもの≫』





『風は、謡う。

≪塔のてっぺんには、何がいる?

翼をもがれた 天(そら)からの落とし子

いつも天見て 翼を請う

いまだ知らざる世界を想い

遠き天見て 夢を見る≫』
























  【  e c c l e s i a  】  


























前編





















昔、昔のこと。

まだこの国を国王が治めていたときの話。









その王はとても民に慕われ、名君と誉めそやされていた。

それは何も根も葉もない噂ではなく、真実、民にも家来にも、周辺諸国にも、この国にその王有とさえ謳われるほどに。









彼は、いつでも民のことを想い、よき暮らしが出来るようにと心を砕いていた。

凶作にあえぐときには減免をしたり、国庫を開放して食料を配給したり、国内の何処かで子供が生まれれば、市井におりその子供に祝福をし、何処かで誰かが亡くなれば、家族同然のように心を痛め、共にその冥福を祈った。

彼ほど民を思わぬ王はいなかっただろう。

そして、民もまた王を思い、どこの国の民にも負けぬほど・・・否、それ以上に王を誇りに思い、慕っていた。













そんな彼には、后が一人いた。

とても美しく、可憐なその后は、三つ山を越えた先の国の王女であった。

王が、十数年ほど前にその国を外交上の関係で訪れた折に、一目惚れをし、その折に求婚をした。姫もまた、王のことを好きになっていたので、一つ返事で嫁いできたのだ。








それから数年経った。

二人の仲は相変わらず仲睦まじいものだったが、何年経っても二人の間に子供が生まれることはなかった。

そのことを酷く思い悩む后に、王は諭す。

『そう思いつめてはいけない』と。そして、『子は天からの授かりもの。きっと神は今、私たち二人を試しておられるのだろう。この二人に大切な我が子を授けて良いものかと。だから、神からお許しがでるまで、二人ずっと共にあろう』と。

后はその王の言葉に涙を零し、何度も何度も頷いたという。






それから、なお十数年が経った。

やはり二人の間に子が生まれることはなかった。しかし、王は后を支え、いつかの日に約束を交わしたように、ずっと共にあった。后もまた、王と共にあり、支えあっていた。







そして、幾年か過ぎ去った後、その報せが入った。

『お后様に御懐妊の兆候が見受けられます』と。

その一報に国中が沸いた。何よりも慕っていた王とその美しいお后様の間にできた待望の一子なのである。

日が沈み、夜が深まり、そして朝日が昇っても、国中でその喜びにお祭り騒ぎとなった。

昼には、后が城のテラスより出でて、国民に手を振って答えた。その側には后を支える王の姿も見受けられ、国民は更に喜び拍手を送った。






だが、王はその時、自分でも持て余す己の感情に戸惑っていた。

后の懐妊の報せは、一番に王の下に届いたのだが、そのとき感じた思いは、≪嬉しい≫というそんな正の感情ではなかった。もっと暗く、重く、澱んだ負の感情。

王はその感情を気のせいだと思うことにし、胸のうちにそっと押し込めた。

自身に呪文のように言い聞かせて。

『嬉しい・・・嬉しいのだ・・・そうだ、私は嬉しい。子供が産まれルノダ・・・ソウ・・・ ・・・ウレシイハズナノダ』と。








日に日に増す后の腹。

その内に宿る生命を確かめるたびに、王には漠然とした恐怖が込み上げてきた。

もし、后に子が産まれたならば。

その育つ腹のように、自分の必死に押し隠し、閉じ込めたこの感情が、その子供の出産と共に、自分の内側から零れ落ちるのではないかと日増しに恐怖が募ってゆく。
が、しかし、生まれて初めて覚えたその感情をどう処理すればよいのかさえ王にはその検討がつかず、ただ、無為なる時間が過ぎ去った。









そして、十月十日。

いよいよ、后の出産の日であった。









その日は、朝から空いっぱいに黒雲が立ちこめ、時折稲光をはしらせていた。

いつ大粒の雨が零れ落ちてきてもおかしくない空を抱えた城では、后の破水が始まり、分娩室へと担ぎ込まれたところであった。
















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≪コメント:本作タイトル【ecclesia】は(エクレシア or エケレジヤ)と読み、キリシタン用語で教会堂や聖堂をさす言葉だそうです。≫