この物語は、クロトがリヒトと出会う前のお話。














一人、旅をしていたときの、ある一つの出会いと、そして・・・。



















  【  世界の終焉の先にあるものは?  】  























番外編
























腹が立ったのかもしれない。

哀しかったのかもしれない。

悔しかったのかもしれない。

許せなかったのかもしれない。

逃げ出したかったのかもしれない。

認めたくなかったのかもしれない。

偽善者でありたかったのかもしれない。

知らないふりをしていたかったのかもしれない。







今となって冷静に考えてみれば、その時の自分の心境を語りつくすことは出来るかもしれない。

ただ、その瞬間感じた何ともいえないあの不可解な感情を何と言って表現すれば一番あっているのかは、今いくらその瞬間を想像して吐露したところで、その真意を明確に言い表すことなんて出来ないように感じた。

だから、その時は、色々な感情に自分が押しつぶされそうになって思わず、荷物を持って、その場から立ち去ったのだった。

出国手続きをし、その許可が下りて、身分証明書の返却されたのをひったくるように受け取って、挨拶もそこそこ走り出した。背後から、受付してくれた人の何とか言う声が聞こえてきたが、それを無視して走った。

走りに走った。

どこをどう走ったのか、思い出せないほどに。

そして、我に返ったとき己の失態に気がついた。





















「・・・ ・・・ここ、どこだ」


























そもそもな話をしよう。

世界は法の下に置かれている。

そして、その下に置かれた世界に生きる某かの生き物はそれに拘束され、更に己らの属する集団をまた規制・統制してゆくために“決まり”を作る。それは、動物であろうと人間であろうと変わらない。海や川に生息する魚だろうと、虫であろうと植物であろうと、この世界に生きてゆくために必要な決め事なのだ。

それらは何も全てが全て明文化されているというわけではない。そもそも“決まり”に要件など存在しないのだ。それが出来るのは文字を書くことを覚えた人間だけの行為であり、その他の生き物にはそんな芸当は出来はしないから、彼らはそれを遺伝子の中に、また自然法則の中に埋め込んでゆき、それを“本能”だとした。

人間もまた、それらをすべて明文化したわけではない。否、過去に一度、朝晩の寝食、外の歩き方、日中のあるべき態様等々、それはもう赤子の呼吸の仕方から人の生き死ににまで“決まり”として口出しをしてきたこともあったか。

だが、そういった国は、言わずもがなその“決まり”に拘束され、呼吸が出来なくなり、一夜の夢の如く滅んでいった。

つまるところ何が言いたいかと言えば、この世界に存在する種は、それが集団である以上何らかの“決まり”に拘束され生きてゆく。

では、そういう集団に属さないものがいたとしたらどうだろう。

例えば、動物の場合、そこから続く生はない。それは他の魚等にも言える事だ。彼らは、周りの外敵からの襲撃を集団でいることでそれを多分に回避させているのだ。もし一匹でのこのこその辺を歩いていたならば、近いうちに間違いなく獲物として狩られることだろう。そうならないためにも、彼らは群れから離れることは出来ないし、離れないように必死についてゆく。生きるために・・・それが彼らの本能だからだ。

ここに例外が存在する。

人間である。人は、一人でも生きる知恵と方法と糧があれば生きてゆける。集団から逸脱していたとしてもだ。

旅人は、その最たる例だと言える。

彼らは、己の意志の元に町から町へ、国から国へ、大陸から大陸へとその歩が止まらぬ限り、その意志が変わらぬ限り、生が尽きるその瞬間まで渡り歩く。

しかし、そんな彼らにも、暗黙の了解とも言うべき“決まり”が存在する。


例えば、辿り着いた先の国の“決まり”である法律や慣習には従い、決して逆らわないことというのがあるし、また、立ち寄った先での出来事について関与してはいけない、というのもある。

そして、その了解の中の一つに、“夜の移動の忌避”がある。旅人にとって、時間をおろそかにするほど怖いものはない。夜になれば、その夜陰にまぎれて夜盗は現れるし、獰猛な獣も出てくる。だから旅人は、なるべくなら夜の移動を避ける。それは何より自分の命を守ることになるのだから。それを忘れて行動して命を落としたとしても、誰も同情などしてくれない。

だからその小さな旅人はため息をついた。同情云々に対してではなく、己の短慮さから引き起こしたこの結果についてだが。

























「・・・ ・・・ここ、どこだ」

随分幼い声だった。

変声期前の子供独特のその声音は、周囲で少しでも大きな音がすれば掻き消えてしまうほど小さい。

「・・・暗い・・・何時の間に夜になったんだろう」

その小さな旅人は、周囲をキョロリ、キョロリと見渡した後、着ているロングコートの懐からペンライトを取り出してスイッチを入れた。

カチ、と小さな音と共に直径十センチ程の円筒上の光が周囲の景色の上を滑るように這う。そして、その灯りを上へと向けた後、なるほど、と一つ頷いた。

「・・・暗いはずだ。いつの間にか森の中に迷い込んでる」

上空十数メートル程上になろうか。刈り取られることのなかったのだろうその木々の枝ぶりは、周りの仲間のものをも巻き込んで、もうどこまでが己の領分なのか判断つかぬほど折り重なる様にして絡み合っていた。

それにともない密集するかのようにしてある木々の葉は、隙間なく上空を覆い尽くしており、空の色の一片さえ窺うことが出来ない。己の失態を正当化するわけではないが、これではいつ陽が暮れたのかさえわからなかったであろう。

旅人は、やおらそのペンライトを銜えると、再び懐をあさり、何分の一程に折りたたんだ紙片を取り出し眼前に広げた。照らし出されたその紙片は、この近辺の地図であったのだが、それを上下左右ざっと見渡した後、旅人はその小さな肩を落とした。

「・・・参った。ちょうど切れてる」

地図の左下ギリギリのところでわずかばかりこの場所だと思われる森らしき絵の一部が見えるがそれも先のほうだけで、“Forest(森)”とその絵の側に書かれてあるだけで、それ以上そこから読み取ることは出来なかった。

「・・・良い教訓ってことだな。人を助くば何とやら・・・か」

地図を元のとおり折りたたみ直し、コートの内ポケットに押し込めながら思い出すのは、数時間前までいた国での出来事。思い返せば、あんな目にあったのは旅を出てから初めてのことだったかもしれない。

今までどの国を訪れても、あの国のように蔑まされたことも、冷遇されたことも、ましてや命を狙われるなどといったこともなかった。国が違えば風習も仕来たりも人々も、何もかも違うのは当たり前のことだ。それでも何処か心の中で、何処へ行っても人というのは変わらないものだと信じていた。今回はそれを見事に裏切られた形となったが。

「・・・まぁ、ちょうど良かったのかもしれない。早くに気づくことが出来た僕は、幸せものなんだろう」

人にはそんな面もある。それを知っているか知らないかがこの先の旅にどれほど関わってくるかなんて分かりはしないが、知らずに騙されるより、知ってて騙されたほうが気分的に救われる気がする。

その小さな旅人は空を見上げた。木々で何も見えぬ闇の空は、どこか旅人の心に優しかった。

じんわりと、一人物思いに耽っていたのだが、次の瞬間、背後に何ともいえない気配を感じ、旅人は、すぐにペンライトの灯りを消して背後を振り返り身構えた。

旅人は心の中だけで、己の更なる失態に舌打をした。

周囲に気を配るのを忘れて、何ものかが己の近くまで寄ってきていたのに気づかなかった。

旅人たる暗黙の了解を一時でも忘れたものには死を・・・ふと思い起こされるのは、いつだったか旅に出てすぐに出会った旅人(デラシネ)から教えてもらった言葉だった。旅人から旅人へと教え伝わるその了解は、旅人への決まり事であり、警告でもあった。

旅人は息を殺し、その気配を探る。

数は一つ。静かにゆっくりとした感覚で、その気配はこちらへと近づいてきた。そして――・・・

「おお?子供か?」

野太い声がし、木々の向こうから現れたのは、一人の大男。四十過ぎのその男は、泥や煤で汚れ、ところどころ擦れて破けたようになっている作業服に身を包んでいた。

「どうしたんだ、こんな時間に。道にでも迷ったのか?」

大男は近づくなり、その小さな旅人へと視線を合わせるように、ほぼ座る形で腰をかがめて声をかけてきた。それほどこの旅人と男との身長差があった。

彫りの深い顔立ちで、顎の周りにところどころ生えた無精髭。太い眉は心配そうにきゅっと寄り、穏やかそうな瞳が旅人の視線とぶつかった。

「・・・えと、旅をしていたのですが、気がついたらこの森に迷い込んでしまってて」

「こんな小さい子が旅人とたぁなぁ・・・よし、おじさんとこ来るかい?」

暫し男が逡巡したと思っていたらいきなりのその申し出に旅人は面食らった。

「これから近くの町までの道程でも教えてやりゃぁいいんだろうが、この辺は夜になると狼やら出るんで危険だからよ、一晩うち来いや。明日んなったら、近くの町までの道を教えてやれるし・・・どうだい」

男の様子を窺う限り不信な点も怪しいところも見受けられない。善意で言ってくれているのが、その目を見て、その声を聴いて分かったので、旅人は破顔し頷いた。

それに男は嬉しそうに笑んで、「じゃあ全は急げだな、こっちだ」とそう言って、旅人を促した。

しかし、その足はすぐ二三歩進んで、ぴたりと止まった。

どうしたのだろうと、旅人が様子を窺っていると、男は「しまった!忘れてた!」と頭を抱えてこちらを振り返った。

「名前聞くの忘れてたなぁ。俺は、ゴーシュってんだ」

男はニカリと笑った。その表裏のない笑顔につられ、旅人も子供らしい笑顔を浮かべた。

「・・・僕の名前は、クロト。クロト・メーフェスだよ」




















 ⇔ 


≪コメント:すみません。思いっきり長くなってしまったので、前編と後編に分けさせていただきました。≫