【 世界の終焉の先に待つものは? 】 |
1-7
「こちらでお待ち下さい」
そう言い置いて室内を後にしたシスターを他所に、その通された部屋をグルリと見渡し、リヒトはその奇妙さに言葉を詰まらせた。
来客用の応接室であるのだろうその一室。白亜の両サイドの壁には、年代ものを思わせる宗教画が金の額縁に入れられ飾られており、室内中央には縦長の重厚な机に、艶のある黒の革張りのソファが置かれている。室内の照明用に天井に吊るされている通常より大型の角灯が室内を赤々と照らし出していた。そう、ここまでなら、なんら不思議のない部屋なのだろうが、リヒトが奇怪に感じたのは室内奥の壁に埋め込まれる形で設置されている本棚だ。床から天井まで隙間なくぴったりと収まったその本棚が通常全て埋まればゆうに三千冊は入ろうかという大型のそれには、一冊の本だけを残し、あと全てが『空』であったのだ。
「・・・なぜこれ一冊しかないんでしょう?」
本棚からその一冊を取り出して辺りを見回してみるが、これ以外の本は見つからない。
抜き取ったその本に視線を落とせば、背表紙は、元の色が分からなくなるほど赤茶けところどころ破けており、中の紙が束ねてある太い糸ごと剥き出しで見えているし、表紙のカバーに印字されていたのであろうこの本のタイトルは、擦れてところどころ読めなくなっている。
「ずいぶん古い本ですね。紙のところもずいぶん日に焼けてしまっているようだし・・・それにこの、Ana・・・m・・・sc・・・T・・・be・・・le・・・?・・・何語でしょうか?」
リヒトは、側に居たクロトにそれを手渡しながら聞くと、受け取ったクロトは表紙のタイトルをなぞり、
「・・・『Anatomische Tabellen』。オランダ語」
「『おらんだ語』・・・この世界の言語ではないですよね・・・もしかして、それも前世界の言語だったりします?」
その問いにクロトは「鋭いね」と小さく微笑んでみせた。それに対して、クロトに珍しく褒められたことがかなり嬉しかったのか、全開の笑みで持って喜びを表すリヒトには、クロトがその本に関して続けて説明している言葉など耳に入ってはいない。
「・・・それで遺された唯一の本なんだ。・・・ ・・・って、リヒト今の説明ちゃんと聞いてた?」
聞いていないことなど丸分かりのにやけたリヒトの顔を、下から上目にねめつけるクロト。眇められても、子供特有の大きな眼は変わらないため、些か覇気には欠けるが、リヒトにはその静かな怒気が伝わったのか、慌てた様子で訊ね直すのをクロトは深い溜息と共に言葉を吐き出す。
「・・・だからリヒトは、“schwarz”(シュバルツ)になれないんだよ」
その言葉にリヒトが息を呑むのと、背後で扉が開けられるのはほぼ同時。
「・・・おやおや、どうかなさいましたか?」
二人が背後を振り返れば、扉を開けて入ってくる者たちと目が合った。
最初に入って来た者は、白髪がめだつ髪をバックに撫で付けた五十過ぎの男。恰幅が良く、柔和な笑みを湛えているその男は、黒の修道着を身に纏い、首から下げた銀の十字架、手に持つ教書、それに彼が放つ神聖な空気から彼がこの教会の神父なのであろうことが分かる。
そして、彼の半歩後ろからついて来る者は、片側だけの吊り眼鏡をかけた40代と思わしき修道女。先の神父とは対照的な能面のような無表情がまるで人形のそれのよう。
神父は、リヒトらをソファのある方へと促し、リヒトへと手を差し伸べる。
「初めまして、私がこの教会で神父をしております、ヴェルゼと申します」
ヴェルゼは、穏やかに微笑んだままリヒトと握手を交わし、隣に立つ女性に視線を向け紹介を続ける。
「そして、この者は、修道女たちを統率する長を任せている・・・」
「・・・マティルダです」
ヴェルゼの言葉の続きを受け、マティルダと名乗ったシスターは、相変わらず感情の読めない表情のまま二人に向かって一礼をする。それに合わせて、二人も軽く頭を下げると、ヴェルゼが二人に座るように促し座するのを待ち、言葉を紡ぐ。
「シスター・ケイトから話を聞いています。・・・ああ、シスター・ケイトと言う者は、あなた方の話を聞いて、ここへお連れした者のことですが・・・夜盗に襲われたとか、大変でしたね。どうぞローアンへ旅立たれるそれまで、どうぞこちらへお泊まり下さい。何もおもてなしなどできませんが」
こちらとしては願ったり叶ったりなその申し出ではあったが、リヒトとしてはいつまでここに滞在するのかも不確かな出前何とも言えず口篭っていると、
「お怪我もされず、この国へ来、私どもの所にたどり着いた・・・これは神の思し召しのように私には感じます。どうかご遠慮などなさらずに、ここにはクロト君と同じくらいの年の子も大勢いますから、皆も喜びますでしょう」
そうヴェルゼに畳み掛けられリヒトは「そうですね・・・」と逡巡した後、隣にちょこんと座っているクロトの様子を窺いそこに否の答えがないことを確認し、「お願いします」とヴェルゼに向かって礼をとった。
それをやはり表情の変わらぬシスター・マティルダが、ガラス玉の様な冷たい目でただ見ていた。
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≪コメント:絶賛スランプ中で何とか書けました。・・・無理やり書いた感がなんとも言えず。今回でとりあえず主要人物はあらかた出揃った感じです。あと若干名出ていない者もいますが・・・それはさておき、まだまだ謎は謎のまま。とりあえず主人公たちは教会に無事入り込むことが出来ました。次かぐらいには、各々単独行動が目立ってくるやも・・・それでは、スランプが短期間で終わることを祈って!≫