そして、私は、花になった。
























   【   名   モ   無   キ   花   】   












ふと目が覚めた私は、何とも言えない違和感を感じた。


視界は随分低い位置にあり、風が吹くたびにゆらゆらと危うげに揺れているのだ。


(・・・ワタシハ、イッタイドウナッタノカシラ?)


最期に覚えている事。それは、私は見知らぬ男に殺されたということ。そして、白く美しい花を見て、「あの花になりたい」と、そう願ったことだけ。


なぜ私が殺されたのか、なぜ私は名も知らない白い花を見て、その花になりたいなどと願ったのか、それはなぜかと考えてみたけれど、どうしても思い出すことが出来なかった。


忘れてはいけない願いだったように思うけれど、いくら考えても思い出すことは出来ない。心の中が思い出せない事に対して、苦しい、苦しい、と叫んでいるように私の心を締め付ける。


しかし、不思議なことがあるものだと思う。


私は確かに殺された。


たくさんの血が流れ、意識は遠のき、私は死を受け入れたのだ。それにもかかわらず、今私は、生きている。


辺りをぐるりと見渡せば、そこは私が殺された場所であった、一本松のすぐ側であることに気がついた。


凸凹で何の整備もされていない通りだけれど、そこに私の死の痕跡は何処にも見当たらなかった。


そして、一つのある事実に私は、気がついた。


その事実とは・・・私が、今や人の姿ではないということだ。


私の周りは赤い花に囲まれていた。記憶しているものは、白い花だったけれど、私の視界と同じ高さに同じように赤い色をした百合のような花が群生していた。そして、私の視界が危うげに揺れる理由―それは穏やかに吹く風が私を・・・私たちの内を走り去っていったから。私の視界が低いのは―それは、私が彼女たちと同じような花になったから。ただ私が彼女たちと違っていたのは、私が白い花だということだ。


生前そうありたいと、死のその瞬間まで願い続けていたから、その思いが具現してきっとこのような形で生まれかわらせたのだろうか?


それは、なんと幸せなことだろう。


いくら記憶を忘れてしまっていても、こうありたいと望んだ形を私は今手にしているのだから。


そう思うと、先ほどまで苦しい、苦しいと訴えていた心が―花に心があるなんて可笑しい話だけれど―和らいでゆくのが分かった。














どれほどの時をそこで過ごしただろう。


花の命は短いというのに、私は一向に枯れることがなかった。


私の周りに居た彼女たちは枯れ、そして咲き、また枯れ、咲き・・・を繰り返し、もう4代目になっていた。


私はあのときのまま、この一本松の木の側で過ごしている。春は、どこからともなく風に乗ってやってきた桜の花びらを見て春を感じ、夏は、厳しい日差しを松の枝が遮ってくれて幾分か和らいだ日差しをあびて夏を感じ、秋は、松の実が種を降らしてゆくのを見やっては次代に続いてゆく子孫の姿を思い感慨に耽ってみたり、冬は、私の胸元まで積もった雪に凍えるような思いをしたりと、季節を直に肌で感じ取りながら、それでも枯れることなく白く美しいまま咲き続けていた。


(ワタシハ、コノママ、ココニサキツヅケルノカナ?ユックリトシタトキノナガレニミヲマカセタママデ・・・)


見上げた松の木はもう、お爺さん。私よりずっと長い時をここに居て在るがままに見守っていた。


(ワタシモ、カレノヨウニ、ナッテユクノカシラ・・・?)


そう思うとなぜか、居た堪れない気持ちになった。





















ぼんやりとした時間を過ごすことの方が多くなっていったこの頃。


前は、季節季節を楽しんでいたけれど、もうそんな気分にはなれなかった。


悠久の時がどれほど心狂わせることだろう。


あの松の木もまた、心狂わせた者なのかもしれない・・・そして次は私の番。


日がな一日何も考えることなく過ごしていると、前ほど思考し続けることが難しくなってきた。言葉数も随分思い出せなくなったことの方が多い。


それがまた、狂ってゆく自分の心のようでなぜか可笑しく感じた。




















「うわぁ〜!とっても綺麗なお花だこと!なんてゆうお花かしら?」


突如、頭上が翳ったかと思えば、鈴が転がるような可愛らしい声が降ってきた。


見上げれば、十代後半か・・・二十代前半頃の洋装の女性がレース地の白い日傘を差して私を見下ろしていた。


白磁の肌は絹織物のように滑らかで、栗色の長い髪は綺麗に後ろで纏め上げられており、髪色と同じ栗色のパッチリとした大きな瞳は、うっとりと見惚れたかのように少し潤んでいた。可愛らしいとしか表現出来ないその女性は、背後に声をかけた。


「貴方、貴方、ちょっと来てくださいまし!とっても美しいお花が咲いていますの」


女性の溌剌とした姿に、『貴方』と呼びかけられた方は、苦笑交じりに此方にやって来た。


ゆっくりと落ち着いた足取りで、彼女の背後から現れたその姿を見るや、私の身体を電気が走ったように感じた。


今まで思い出すことの出来なかった記憶が一気に蘇って来る。


(アア・・・アア・・・コノヒとは!この方は!)


今まで凝っていた言葉があふれ出す。


眼前に立つその方は、私が見間違えるはずもなく、生前私が愛し、駆け落ちの約束をした愛おしい彼だった。幾分記憶していた彼より、歳を重ねたような外見も雰囲気も随分落ち着いたように見える。


「ね、ね、貴方。この花の名前をご存知?」


女性の呼びかけに彼は、少し考えるそぶりをしてから緩く頭を振った。


「いいや、知らないなぁ。見たことも無い花だ。とても美しいね」


その声を聞いた途端、胸が熱く高鳴るのを感じた。


(そうです!貴方の為に咲いたのです!貴方の息災を願い、貴方だけを見守ってゆくために!!)


「あら?今、このお花、すごく輝いて見えたは!きっと貴方の声が聞こえて喜んだのね!ねぇ、貴方、この花を屋敷に持って帰ってはいけないかしら?」


そう言って、女性は彼を見上げるようにして聞いてくるのを、彼は些か苦笑混じりに「しょうがないね」と言いながら彼女の側に屈み、私に手を伸ばしたかと思うと、優しく茎を手折った。






















彼は緋ヶ家の敷地内に別館を建てたようで、そこで彼女と共に暮らしていた。


彼女の名前は、旧姓を高倉雪子(たかくら せつこ)と言い、彼女の実家は海運業で財を成した名家だという。緋ヶの前御当主―今は彼がそれを継いでいる―と高倉の親同士が懇意にしており、その関係で二人は知り合い付き合うようになって、1年ほど前に婚約をし嫁いで来たそうだ。


彼女の容姿は本当に可憐で、性向は気さくで溌剌とし、しかし、そこは良家のご息女とでも言うべきか、良き緋ヶ家当主の妻として一歩後ろに下がった立居姿は、自己主張することもなく、されど周りに埋没してしまうようなものではなく、誰彼と無く自然と目がいくようなそんな存在だった。


(お似合いの二人だこと)


その姿に私は、恨む気持ちなど抱くことも無く、ただただ、二人の安穏とした幸せな生活が続くことを願っていた。























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